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​入木筆への想い

筆の歴史

筆を始めて造ったのは中国太古三​皇の一人黄帝の側臣である蒼頡という人であると伝えられていますが、其の頃は聿でありまして鉄などを錐のようにして岩や獣骨に文字を彫りつけるのに用いられていました。

後には竹や木の先を尖らし竹簡、帛(きぬ)等に文字を記すようになりました。

獣毛を以って現在のように筆を造ったのは秦時代の蒙恬将軍で枯木を管(じく)とし、鹿毛を柱(しん)とし羊毛を被(おおい)として造った筆を始皇帝に献上したのが筆の始まりといわれています。

わが国で始めて筆を造ったのは今から一千百余年前弘法大師が入唐して製筆の法を究め、帰朝後その作法を大和国高市郡今井の人「坂名井清川」なるものに伝授して筆を造らせ

時の帝嵯峨天皇に奉納したと言う記録が京都醍醐寺の古文書空海の筆になる「奉献表」並びに「性霊集」に残されています。

随って空海並びに坂名井清川は我国における製筆の開祖であります。

清川の後裔が代々筆を造り是を筆子と言いました。

 

当時は製筆は天業でありまして、朝廷に御筆司所と称する役所があって必要に応じて臣下に払下げを願ったのであります。

筆一本を手に入れるにもなかなか面倒な事で、実に貴重品であったのであります。

​我国で最も古いものは正倉院に保存されており、極短鋒であり、原料は兎、狸、鼬、貂の類が使用されています。

平安朝中期に至って毛筆の需要が急激に増したため、毛筆の製造を民営に移され時代とともに延喜筆、定家流筆、近衛流筆、世尊寺流筆、飛鳥井流筆、持明院流筆、光悦流筆などと必要に応じて種々の様式の筆が制作されたのであります。

徳川時代に至って戦国殺伐の気分を学問によって駆逐しょうとして、茲に文化は大進展をなし、書道に於いても朱子学の興隆と黄蘖僧の影響を受けて、唐様が盛んになり筆も逐次変化を来し、鹿毛、馬毛などが使用されました。

そして、各藩が競って筆師を抱え、特に学問の盛んな藩においては、下級武士に内職に毛筆勢作を奨励して本職の筆匠と内職の武士とが競って技術を研いた為、筆も逐次変化を来し銘筆の爛熟時代となりました。

明治の中期に至って清の揚守敬の来朝により、日下部鳴鶴翁が六朝書風を慕われ柔毛長鋒が珍重され、更に大正に入って丹羽海鶴翁は剛毛筆を礼讃されました。

次いで比田井天来翁は羊毫の豊潤な事を推され、更に昭和の今日に至っては各々の書風によって筆も長、短、剛、柔、多種多様に渉り、原料も熱帯地方産より寒帯地方産の獣毛まで使用し日毎に新様式の筆が作り出されつつある現状であります。

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