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博文堂の歴史
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博文堂

明治新政府の初代総理伊藤博文公は、自由民権政治の実現に辣腕を振った名宰相として有名ですが、その反面、又森穂南を招いて漢詩を学び、長三州を柁羊として翰墨を嗜んだ文客でもありました。伊藤博文、その人の書風は寛厚、雅、優れた余技を示したことは広く世に知られております。

博文堂初代は郡山藩士の書客として慕末に名があり、維新の措置によって禄を離れ、その後筆匠となり製筆を生業といたしました。かねて敬仰の念篤い伊藤博文公を慕った事から、その生業の屋号を「博文堂」と命名しました。

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​入木筆への想い

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博文堂と入木筆

さらにその「博文堂」には、明治当初「読み、書き、そろばん」と言われた学問の基礎を「文」と称し、筆によって「文を博める」という意を含めて自家製筆に命名しました。

博文堂の商標「入木筆」の銘は、書道の宗主と仰ぐ王義之の「筆蹟は木に入ること三寸なりき」<筆に勢があって、墨が木に染み込むの義>と示された故事にもとづき崇高な書道の秘技と、文化財継承の悲願をこめて「入木筆」と名付け世に出しました。

「入木」の意義は、「筆に勢があって墨が木に染み込むの義」とありそれから転じて「書道」の意に用いられるようになりました。書道の宗主と仰ぐ王羲之が「筆蹟は木に入ること三寸なりき」と言われた故事より入木=書道となりました。入木筆は、この遠く古い時代にその由来をもとめて名付けたものであります。中国に生まれ、日本に育った書道に於ける「美の創造」は、生粋の日本文化そのものであり民族至高の芸術ですが、その「美」を生み出し、支え、育てる「筆」づくりの伝統工芸をなりわいとする喜びを、現投手の秘やかな誇りとして、日夜の研鑚と努力を重ねております。

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